イタリア統一

(カヴールとガリバルディ)

基本情報

項目内容
時期19世紀中頃
中心地域サルデーニャ王国
主導者①カミッロ・ディ・カヴール
主導者②ジュゼッペ・ガリバルディ
背景ウィーン体制・三月革命の影響
思想民族主義
完成1870年(ローマ併合)

年表(重要事項)

出来事
1815年ウィーン会議(イタリア分裂)
1848年三月革命(統一は失敗)
1852年カヴール首相就任
1859年オーストリアとの戦争
1860年ガリバルディの遠征
1861年イタリア王国成立
1870年ローマ併合(統一完成)

ウィーン体制・三月革命との関係

視点内容
ウィーン体制イタリアは複数国家に分断
革命の影響三月革命で統一思想が拡大
教訓理想論だけでは統一できない
転換国家主導の現実的統一へ

政治・戦争・統一の進め方

分野内容
政治カヴールの外交主導
軍事ガリバルディの義勇軍
外交フランスと同盟
統一手法上からの統一+民衆運動
王権サルデーニャ王を中心

功績と問題点

視点内容
功績分裂状態から統一国家へ
特徴複数指導者による統一
成果国民国家イタリア成立
問題点南北格差・政治的不安定

覚えるべきキーワード一覧

  • イタリア統一
  • 民族主義
  • カヴール
  • ガリバルディ
  • サルデーニャ王国
  • ウィーン体制
  • 三月革命
  • 義勇軍
  • ローマ併合

1行まとめ

イタリア統一は、三月革命の失敗を踏まえ、外交を担うカヴールと軍事行動を担うガリバルディによって実現された。


【詳しい解説】

イタリアは19世紀初頭まで、複数の国家や外国勢力によって分断された地域であった。
ウィーン会議によってこの分裂状態は固定化され、オーストリアは北イタリアに強い影響力を持っていた。

1848年の三月革命では、自由主義と民族主義に基づく統一運動が広がったが、軍事力や国際的支援を欠いていたため失敗に終わった。この失敗から、「理想だけでは統一は不可能である」という認識が共有されるようになる。

その中で中心的役割を果たしたのが、サルデーニャ王国の首相カヴールである。
彼は革命を警戒する保守的立場に立ちながらも、外交と戦争を巧みに利用し、オーストリアの影響力を排除する現実的な統一政策を進めた。

一方、ガリバルディは義勇軍を率いて南イタリアに遠征し、民衆の支持を背景に急速に勢力を拡大した。彼の軍事行動は、カヴールの外交政策と結びつくことで、統一を決定的なものとした。

最終的に1861年にイタリア王国が成立し、1870年にローマが併合されて統一は完成する。
ただし、急速な統一の結果、南北の経済格差や政治的不安定といった問題も残された。


【全体のまとめ】

イタリア統一は、三月革命の理想的統一が失敗した後、国家主導の現実的政策によって達成された。
外交を担うカヴールと、軍事行動を担うガリバルディの役割分担が、統一成功の大きな要因であった。


論述問題+模範解答

問題①

イタリア統一が三月革命後に成功した理由を説明せよ。(120〜150字)

模範解答を表示

三月革命では理念先行で軍事力や外交的支援を欠いていたが、その後はサルデーニャ王国を中心に国家主導で統一が進められた。カヴールの外交とガリバルディの軍事行動が結びついたことが成功の要因である。


問題②

カヴールとガリバルディの役割の違いについて説明せよ。(150〜180字)

模範解答を表示

カヴールは首相として外交と戦争を通じて統一を進め、列強との関係を重視した。一方ガリバルディは義勇軍を率いて民衆の支持を背景に軍事行動を行い、南イタリアを制圧した。両者の役割分担が統一を可能にした。


問題③

イタリア統一の成果と課題を説明せよ。(180〜200字)

模範解答を表示

イタリア統一は分裂状態を克服し、国民国家を成立させた点で大きな成果を持つ。しかし急速な統一の結果、北部と南部の経済格差や政治的不安定といった問題が残され、統一後の国家運営に課題を残した。

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