(およそ3世紀中ごろ 〜 7世紀ごろ)
① 弥生時代の終わりと古墳時代の始まり ― 何が決定的に違うのか
弥生時代後期、日本列島には多くの小国が存在していました。
邪馬台国の女王・卑弥呼の登場は、その象徴です。
しかし卑弥呼の死後、
- 各地の有力者どうしの争い
- 小国の統合と再編
が進み、次第に 一部の強力な支配者が他の地域を従える動き が強まっていきます。
この流れの中で登場するのが、
⇒ 巨大な古墳を築くことのできる支配者層
です。
ここから歴史は「古墳時代」と呼ばれる段階に入ります。
② 古墳とは何か ― なぜ巨大な墓を作ったのか
古墳の定義
古墳とは、
- 有力な支配者(首長・王)の墓
- 土を盛り上げて築いた巨大な墳墓
単なる墓ではなく、権力を示すモニュメントでした。
なぜ巨大化したのか
- 「自分は多くの人々を支配している」
- 「これだけの労働力を動員できる」
ことを、周囲に視覚的に示すためです。
➡ 古墳の大きさ = 支配者の権力の大きさ
③ 前方後円墳の出現 ― 日本独自の王のかたち
前方後円墳とは
- 前が四角形
- 後ろが円形
- 上から見ると鍵穴のような形
この形の古墳は、
- 3世紀後半に近畿地方で出現
- その後、日本列島各地に広がる
⇒ 共通の権力文化が列島全体に広がった証拠
つまり、
- 同じ政治的ルール
- 同じ支配構造
が共有されていた可能性が高いのです。
④ ヤマト政権の成立 ― 古墳時代の中心勢力
ヤマト政権とは
- 現在の奈良県周辺(大和地方)を拠点
- 有力豪族の連合政権
- 天皇家につながる支配層の原型
ヤマト政権は、
- 武力
- 婚姻関係
- 祭祀
を通じて、各地の豪族を従えていきました。
豪族とは
- 地域を支配していた有力者
- 自分の土地と人々を持つ
ヤマト政権は、彼らを完全に滅ぼすのではなく、
➡ 従属させ、支配体制に組み込む
という形で勢力を拡大しました。
⑤ 古墳に見られる副葬品 ― 何が一緒に埋められたのか
古墳の内部からは、さまざまな副葬品が出土します。
主な副葬品
- 鉄の武器(剣・鏃)
- 農具
- 鏡(特に中国製の銅鏡)
- 装身具
これらは、
- 被葬者の権力
- 外交関係
- 軍事力
を示しています。
特に銅鏡は、
⇒ 中国王朝との関係を示す権威の象徴
でした。
⑥ 埴輪の登場 ― なぜ人形や家を並べたのか
埴輪とは
- 古墳の周囲に並べられた素焼きの人形・器物
初期:円筒埴輪
後期:人物・家・馬・武器などをかたどった形象埴輪
埴輪の役割
- 墓の境界を示す
- 死者の世界を表現する
- 生前の生活・権力を再現する
➡ 支配者の世界観を視覚化した存在
埴輪の内容を見ることで、
- 馬が重要だった
- 武人階層が存在した
など、当時の社会構造が分かります。
⑦ 対外関係の発展 ― 朝鮮半島との深い関係
古墳時代、日本は孤立していたわけではありません。
朝鮮半島との交流
- 百済・新羅・加耶などの国々
- 鉄資源・技術・文化の交流
特に重要なのが、
⇒ 渡来人(とらいじん)
渡来人がもたらしたもの
- 鉄器製造技術
- 土木技術
- 文字文化(漢字)
- 織物・土木・建築
➡ ヤマト政権の国家形成を支える基盤となった
⑧ 支配の仕組み ― 氏姓制度の原型
ヤマト政権は、
- 豪族に「氏(うじ)」を与え
- 政権内での地位を「姓(かばね)」で示す
という支配方法をとりました。
これは、
- 血縁を重視
- 世襲を前提とした政治
➡ 後の日本的支配構造の原型
⑨ 古墳時代後期の変化 ― 巨大古墳の終わり
6世紀ごろになると、
- 巨大古墳の築造が減少
- 仏教の伝来(死後観の変化)
- 中央集権化の進展
により、社会は次の段階へ移行します。
⇒ 国家としての制度作りが本格化
⑩ 古墳時代の歴史的意義
古墳時代は、
- 日本列島が政治的に統合され始めた時代
- 王権(天皇制)の基盤が作られた時代
- 国際社会(東アジア)に組み込まれた時代
でした。


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