1行まとめ
巨大古墳の築造を通じてヤマト政権が各地の豪族を統合し、国家形成が本格化した時代。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代 | 3世紀中頃〜7世紀前半 |
| 前の時代 | 弥生時代 |
| 次の時代 | 飛鳥時代 |
| 政治形態 | 豪族連合政権(ヤマト政権) |
| 特徴 | 前方後円墳・埴輪・氏姓制度 |
年表
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 3世紀中頃 | 大型古墳が出現(前方後円墳) |
| 4世紀 | ヤマト政権が畿内を中心に勢力拡大 |
| 5世紀 | 倭の五王が中国南朝へ朝貢 |
| 6世紀 | 仏教伝来(538年説・552年説) |
| 7世紀初頭 | 古墳築造が終息、国家体制が変化 |
政治・社会・対外関係の整理(表)
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 政治 | 大王(おおきみ)を中心とする豪族連合 |
| 社会 | 氏(うじ)と姓(かばね)による身分秩序 |
| 宗教 | 自然崇拝・祖先崇拝(神道的世界観) |
| 対外関係 | 朝鮮半島・中国南朝と外交 |
| 技術 | 鉄器・須恵器・馬具 |
覚えるべきキーワード一覧
- 前方後円墳
- ヤマト政権
- 大王(おおきみ)
- 氏姓制度
- 埴輪
- 倭の五王
- 須恵器
- 仏教伝来
詳しい解説
① 古墳の出現と意味(3世紀中頃)
弥生時代の終わり頃から、支配者層の墓が急激に巨大化する。
特に前方後円墳は、全国に分布しながらも形が共通しており、これは
「同じ政治的秩序のもとにある」ことを示す権威の象徴だった。
古墳を築ける=
労働力・食料・技術を動員できる力を持つ
→ すでに強力な支配者が存在していたことを意味する。
② ヤマト政権の成立と豪族支配(4〜5世紀)
畿内(奈良盆地)を中心に、ヤマト政権が形成される。
大王は直接全国を支配したのではなく、地方豪族を取り込みながら統治した。
ここで使われたのが 氏姓制度。
- 氏:血縁集団(例:物部氏、蘇我氏)
- 姓:地位・役割を示す称号(臣・連・君など)
これにより、
「誰が何を担当し、どのくらい偉いか」が固定化されていった。
③ 倭の五王と東アジア外交(5世紀)
中国南朝の史書には、倭の五王(讃・珍・済・興・武)が登場する。
彼らは中国皇帝に朝貢し、官職を求めた。
目的は:
- 国内での支配権の正当化
- 朝鮮半島への影響力確保
- 先進文化・技術の獲得
つまり外交は「外向き」だけでなく、
国内統治を安定させるための政治手段だった。
④ 技術革新と社会変化(5〜6世紀)
朝鮮半島経由で多くの技術が流入。
- 鉄器 → 農業・軍事力の向上
- 馬具 → 機動力のある軍事支配
- 須恵器 → 高温焼成の土器、権力者の象徴
これらは豪族の力の差を拡大させ、
政治の主導権争いを激化させていく。
⑤ 仏教伝来と古墳時代の終焉(6世紀)
仏教が百済から伝来すると、
これをめぐって 蘇我氏(受容) vs 物部氏(排除) が対立。
結果として蘇我氏が勝利し、
祭祀中心の政治から、国家理念を伴う政治へと移行。
この変化により巨大古墳は造られなくなり、
飛鳥時代=律令国家形成期へ進む。
全体のまとめ
古墳時代は、
「墓の巨大化 → 権力の可視化 → 政治統合 → 国家形成」
という流れが一貫して進んだ時代である。
日本が「部族社会」から「国家」へ向かう
決定的な転換点といえる。
論述問題
問1
古墳の形や規模が政治権力とどのように結びついていたか、説明しなさい。
模範解答
古墳、特に前方後円墳は支配者の権威を示す象徴であり、その巨大さは動員可能な労働力や物資の多さを示していた。全国で共通した形の古墳が築かれたことは、ヤマト政権を中心とする政治秩序が広がっていたことを示しており、古墳は政治的支配関係を可視化する役割を果たしていた。
問2
倭の五王の外交が、国内政治に与えた影響について述べなさい。
模範解答
倭の五王は中国南朝に朝貢し、官職を授かることで国際的な承認を得た。これにより大王の権威が高まり、国内の豪族に対する支配の正当性が強化された。外交は単なる対外関係ではなく、国内統治を安定させるための政治手段として機能していた。


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