1行まとめ
天皇が上皇として政治を行う院政が始まり、武士が中央政界に進出していく転換期。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代 | 11世紀後半〜1185年 |
| 前の時代 | 平安時代(前期:摂関政治) |
| 次の時代 | 鎌倉時代 |
| 政治体制 | 院政 → 武士政権への移行 |
| 特徴 | 上皇による政治、平氏政権、源平合戦 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1068 | 後三条天皇即位(摂関政治動揺) |
| 1086 | 白河上皇が院政開始 |
| 1156 | 保元の乱 |
| 1159 | 平治の乱 |
| 1167 | 平清盛が太政大臣 |
| 1180 | 源平合戦開始 |
| 1185 | 壇ノ浦の戦い(平氏滅亡) |
政治・社会・武士の整理(表)
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 政治 | 院政(上皇による直接統治) |
| 権力構造 | 天皇・上皇・摂関家の対立 |
| 武士 | 平氏・源氏が中央進出 |
| 経済 | 荘園拡大・武士の所領支配 |
| 社会 | 末法思想の流行 |
| 文化 | 院政期文化(平等院鳳凰堂など) |
覚えるべきキーワード一覧
- 院政
- 白河上皇
- 知行国
- 北面の武士
- 保元の乱
- 平治の乱
- 平清盛
- 日宋貿易
- 源頼朝
- 壇ノ浦
- 末法思想
詳しい解説
摂関政治の終焉と後三条天皇
11世紀後半、藤原氏の外戚関係が弱まる。
1068年、後三条天皇が即位。
外戚関係を持たない天皇。
ここで荘園整理令を実施し、藤原氏の経済基盤を削る。
摂関政治はここで事実上終焉へ。
院政の開始 ― 天皇が裏から支配
1086年、白河天皇は譲位し上皇となる。
しかし引退ではない。
院庁を設置し、上皇として政治を行う。
これが院政。
なぜこんな制度?
天皇が退位すれば
摂関家の干渉を受けにくい。
上皇として実権を握れば、
藤原氏を抑えられる。
つまり
摂関政治への対抗策。
武士の中央進出
院政を支えたのが武士。
- 北面の武士
- 西面の武士
上皇の私的軍事力。
地方で成長していた武士が
中央政治に組み込まれ始める。
ここで武士は
「地方の治安維持者」
から
「中央の政治勢力」へ進化。
保元・平治の乱(武士の内戦)
1156年 保元の乱
1159年 平治の乱
天皇家・藤原氏の内部対立に
武士が介入。
ここで勝ち残ったのが平清盛。
重要なのは
武士が政争の主役になったこと。
貴族はもはや軍事力を持たない。
平清盛の政権
清盛は武士初の太政大臣(1167)。
やったことはかなり革新的。
- 日宋貿易推進
- 大輪田泊整備
- 知行国支配
- 娘を天皇に嫁がせる
つまり
武士版・摂関政治。
平氏は貴族化した。
しかしこれが弱点。
武士層の不満が爆発。
源平合戦と武士政権誕生
1180年、源頼朝が挙兵。
全国の武士をまとめる。
1185年、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡。
ここが超重要。
武士が
「中央政権を軍事力で倒した」初の例。
この後、鎌倉幕府へ。
平安時代はここで終わる。
末法思想と社会不安
この時代は災害・戦乱が多い。
仏教では
1052年=末法元年
とされる。
「仏法が衰え世界が乱れる時代」
この不安から
- 浄土信仰
- 阿弥陀信仰
が広まる。
平等院鳳凰堂はその象徴。
政治不安と宗教流行は連動している。
全体のまとめ
平安後期は
摂関政治終焉
↓
院政開始
↓
武士が政争に介入
↓
平氏政権
↓
源平合戦
↓
武士政権誕生
つまり
貴族の時代から武士の時代への決定的転換期。
ここから日本は
約700年の武士社会へ入る。
論述問題
問1
院政が始まった理由と、その政治的意義を説明せよ。
模範解答
院政は藤原氏の摂関政治に対抗するため、天皇が退位後も上皇として実権を握る政治形態である。白河上皇は院庁を設置し独自の軍事力を持つことで政治を主導した。これにより摂関家の権力は弱まり、天皇家の権力回復が図られた。
問2
平氏政権の特徴と、その崩壊の要因について説明せよ。
模範解答
平清盛は武士として初めて太政大臣となり、日宋貿易を推進し経済基盤を強化した。また天皇家との婚姻関係を築き権力を独占した。しかし貴族化によって他の武士の不満を招き、源頼朝らの挙兵を許したため源平合戦に敗れて滅亡した。


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