冷戦の始まり

― 米ソ対立と戦後世界の二極化 ―

1行まとめ

第二次世界大戦後、アメリカとソ連は政治・経済・軍事・思想の対立を深め、直接戦火を交えない「冷戦」と呼ばれる緊張関係に入った。


基本情報

項目内容
時代1945年以降(主に1940年代後半)
対立軸アメリカ vs ソ連
体制資本主義 vs 社会主義
国際構造二極化
特徴直接戦争を避けた対立

年表

出来事
1945第二次世界大戦終結
1946チャーチル「鉄のカーテン」演説
1947トルーマン=ドクトリン
1947マーシャル=プラン
1948ベルリン封鎖
1949NATO結成
1949COMECON成立
1955ワルシャワ条約機構成立

米ソ対立の構造

観点アメリカソ連
政治民主主義一党独裁
経済資本主義計画経済
軍事NATOワルシャワ条約機構
外交封じ込め勢力圏拡大

冷戦初期の主な出来事

事象内容
鉄のカーテン東欧の社会主義化
マーシャル=プラン欧州復興支援
ベルリン問題分断の象徴
軍事同盟集団安全保障の分裂

覚えるべき重要キーワード一覧

  • 冷戦
  • 二極化
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  • トルーマン=ドクトリン
  • マーシャル=プラン
  • NATO
  • ワルシャワ条約機構
  • ベルリン封鎖

【詳しい解説】

第二次世界大戦の終結によって、ヨーロッパの旧来の列強は疲弊し、世界の主導権はアメリカとソ連という二つの超大国に集中した。両国は戦時中は同盟関係にあったが、戦後処理と世界秩序の構想をめぐって対立を深めていった。

アメリカは自由主義・民主主義・資本主義を基盤とし、自由な経済活動と選挙による政治を重視した。一方、ソ連は社会主義体制の拡大を目指し、共産党による一党支配と計画経済を特徴としていた。この体制の違いは、戦後世界のあり方をめぐる根本的な対立を生んだ。

戦後の東欧では、ソ連軍の進駐を背景に社会主義政権が次々と成立した。これに対して、イギリスのチャーチルは1946年の演説で、ヨーロッパが「鉄のカーテン」によって分断されつつあると警告した。この言葉は、冷戦の始まりを象徴する表現として広く知られるようになった。

1947年、アメリカはトルーマン=ドクトリンを発表し、共産主義の拡大を阻止する「封じ込め政策」を明確にした。これに続いてマーシャル=プランが実施され、西ヨーロッパ諸国に大規模な経済援助が行われた。これは単なる復興支援ではなく、社会不安を抑え、共産主義の拡大を防ぐ狙いを持っていた。

ソ連はこれをアメリカによる勢力圏拡大と受け止め、マーシャル=プランへの参加を拒否し、東欧諸国にも同様の対応を取らせた。そして1949年にはCOMECON(経済相互援助会議)を設立し、社会主義圏独自の経済圏を形成した。

冷戦の緊張が最も象徴的に現れたのがベルリン問題である。ドイツは戦後、連合国によって分割占領され、首都ベルリンも同様に分割された。1948年、ソ連は西側占領地区への陸路を封鎖したが、アメリカは空輸によってこれに対抗した。このベルリン封鎖は、軍事衝突寸前まで緊張が高まった冷戦初期の重大事件であった。

1949年にはアメリカを中心とするNATOが結成され、1955年にはこれに対抗してワルシャワ条約機構が成立した。こうして世界は、軍事・政治・経済のあらゆる面で二つの陣営に分断され、冷戦構造が固定化されていった。

冷戦の特徴は、両陣営が核兵器を保有し、全面戦争が破滅的結果をもたらすことを認識していたため、直接戦争を避けつつ、代理戦争や軍拡競争、外交・経済面での対立を続けた点にある。この新しい国際対立の形は、以後数十年にわたって世界政治を規定することとなった。


全体のまとめ

冷戦は第二次世界大戦後の世界秩序を形作る基本構造であり、米ソの体制対立が国際関係を二極化させた。


論述問題

問1

冷戦が始まった背景について、第二次世界大戦後の国際情勢に触れて説明せよ。

模範解答

第二次世界大戦後、アメリカとソ連が超大国として台頭し、政治体制や経済制度の違いから対立を深めた。戦後処理や勢力圏をめぐる緊張の中で、両国は直接戦争を避けつつ対抗する冷戦関係に入った。


問2

マーシャル=プランが冷戦構造の形成に与えた影響を説明せよ。

模範解答

マーシャル=プランは西ヨーロッパの経済復興を支援すると同時に、共産主義の拡大を防ぐ役割を果たした。一方、ソ連はこれに反発して東欧を社会主義圏として固めたため、ヨーロッパの分断と冷戦構造が固定化された。

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