第二次世界大戦の終結と戦後処理

― 戦争の終わりと新たな国際秩序の出発 ―


1行まとめ

第二次世界大戦は連合国の反攻と枢軸国の敗北によって終結し、戦後は国際連合の成立と冷戦構造の形成へと向かった。


基本情報

項目内容
時代1944〜1945年
戦局連合国の全面反攻
主な出来事ドイツ降伏・日本降伏
戦後処理戦犯裁判・占領政策
戦後秩序国際連合体制

年表

出来事
1944ノルマンディー上陸作戦
1945ヤルタ会談
1945ドイツ無条件降伏
1945ポツダム宣言
1945広島・長崎への原爆投下
1945日本降伏
1945国際連合成立

主な戦後会談・宣言

名称内容
ヤルタ会談ドイツ分割占領・対日参戦
ポツダム宣言日本の無条件降伏要求
サンフランシスコ体制日本の戦後処理(後)

戦後処理の内容

分野内容
領土ドイツ分割、日本の領土縮小
政治非軍事化・民主化
責任追及戦犯裁判
国際体制国際連合創設

覚えるべき重要キーワード一覧

  • ノルマンディー上陸作戦
  • ヤルタ会談
  • ポツダム宣言
  • 無条件降伏
  • 原子爆弾
  • 戦犯裁判
  • 国際連合
  • 安全保障理事会

【詳しい解説】

1943年以降、第二次世界大戦の主導権は完全に連合国側へと移っていた。1944年6月、連合国はフランス北部にノルマンディー上陸作戦を敢行し、西部戦線での本格的な反攻を開始した。これによりドイツは東西両面から圧迫され、戦争継続は困難となっていった。

一方、東部戦線ではソ連軍がドイツ領内へ進撃し、ベルリンを目指していた。1945年2月に行われたヤルタ会談では、アメリカ・イギリス・ソ連の首脳が集まり、戦後のドイツ処理や国際秩序について協議した。ここでドイツの分割占領、戦犯の処罰、国際連合の創設などが合意された。

1945年5月、ドイツは無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争は終結した。しかし太平洋戦争はなお継続しており、日本本土への空襲や沖縄戦など、戦闘は激化していた。アメリカは早期終戦を狙い、1945年8月に広島・長崎へ原子爆弾を投下した。原爆は圧倒的な破壊力と放射線被害をもたらし、戦争のあり方そのものを変える兵器となった。

同時期、ソ連は対日参戦を行い、日本は国際的にも孤立を深めた。8月、日本政府はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を決定した。これにより、第二次世界大戦は完全に終結した。

戦後処理として、ドイツは米・英・仏・ソの四か国による分割占領が行われ、日本は連合国軍の占領下で非軍事化と民主化が進められた。また、戦争責任を問うため、ニュルンベルク裁判や東京裁判などの戦犯裁判が実施された。

戦争の反省を踏まえ、1945年には国際連合が成立した。国際連盟の反省点を踏まえ、安全保障理事会に常任理事国と拒否権を設けることで、集団安全保障の実効性を高めようとした。しかし、この仕組みは同時に大国主導の国際秩序を固定化する側面も持っていた。

こうして第二次世界大戦は終結したが、戦後世界はただちに平和へ向かったわけではなく、やがて米ソ対立を軸とする新たな緊張関係、すなわち冷戦へと移行していくことになる。


全体のまとめ

第二次世界大戦の終結は、戦争の惨禍と向き合う戦後処理と新たな国際秩序の構築を伴い、世界は冷戦という新しい対立構造へと進んでいった。


論述問題

問1

第二次世界大戦の終結過程について、ヨーロッパとアジアの違いに着目して説明せよ。

模範解答

ヨーロッパでは連合国の進撃とソ連軍のベルリン占領によりドイツが無条件降伏し戦争が終結した。一方アジアでは戦闘が継続し、原子爆弾投下とソ連参戦を受けて日本がポツダム宣言を受諾し降伏した。


問2

第二次世界大戦後に国際連合が設立された背景と、その特徴を説明せよ。

模範解答

国際連合は、国際連盟が侵略を防げなかった反省から設立された。安全保障理事会に常任理事国と拒否権を設けることで、大国を国際秩序に組み込み、集団安全保障の実効性を高めようとした点に特徴がある。

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