ウィーン体制

ウィーン体制とは

ナポレオン失脚後、ヨーロッパ諸国が旧来の秩序を回復するために築いた国際体制。


基本情報

項目内容
名称ウィーン体制
開始1815年
中心会議ウィーン会議
主導国オーストリア(メッテルニヒ)
目的革命の抑圧・秩序回復

年表

出来事
1814〜1815年ウィーン会議
1815年ウィーン体制成立
1820年代自由主義・民族主義の弾圧
1848年三月革命(体制の動揺)

ウィーン体制の原則

原則内容
正統主義正当な王家の復活
勢力均衡一国の強大化を防ぐ
反革命革命運動の抑圧

体制維持の仕組み

手段内容
神聖同盟君主同士の連帯
四国同盟列強による協調
会議外交国際会議で問題解決

覚えるべきキーワード

  • ウィーン会議
  • メッテルニヒ
  • 正統主義
  • 勢力均衡
  • 神聖同盟
  • 四国同盟
  • 会議外交
  • 三月革命

一行まとめ(論述用)

ウィーン体制はナポレオン戦争後、正統主義と勢力均衡を原則として革命を抑圧し、ヨーロッパの秩序回復を目指した体制である。


【詳しい解説】ウィーン体制とは何だったのか

ナポレオン戦争後のヨーロッパ

ナポレオンの失脚により、ヨーロッパは長年続いた戦争から解放された。
しかし同時に、「革命によって壊された秩序をどう立て直すか」という難題に直面した。

この課題に対する答えが、1814年から1815年にかけて開かれたウィーン会議であり、そこから成立したのがウィーン体制である。


ウィーン体制の基本思想

ウィーン体制の中心人物は、オーストリア外相メッテルニヒであった。
彼は、フランス革命とナポレオン戦争を「混乱の原因」と捉え、これを根本から否定しようとした。

そのために掲げられた原則が、

  • 正統主義
  • 勢力均衡

である。

正統主義とは、革命によって倒された正当な王家を復活させる考え方であり、革命そのものを否定する思想であった。


勢力均衡と列強の協調

もう一つの柱が勢力均衡である。
これは、ナポレオンのように一国が突出して強大化することを防ぐため、列強が互いに力を均等に保とうとする考え方である。

この原則のもとで、

  • 四国同盟
  • 会議外交

といった仕組みが作られ、列強は協調してヨーロッパの秩序維持を図った。


革命と民族主義の抑圧

ウィーン体制の最大の特徴は、自由主義・民族主義を徹底的に抑圧した点にある。

  • 言論の自由の制限
  • 憲法制定運動の弾圧
  • 民族独立運動の禁止

などが行われ、ヨーロッパは一時的に安定した。

しかし、これらの思想そのものを消し去ることはできなかった。


ウィーン体制の動揺と限界

抑圧された不満は次第に蓄積し、1848年の三月革命によって一気に噴き出す。

各地で革命が起こり、メッテルニヒは失脚する。
これにより、ウィーン体制は事実上崩壊していく。

つまりウィーン体制は、

  • 短期的には秩序を回復したが
  • 長期的には新たな革命の土壌を作った

体制であったといえる。


歴史的意義

ウィーン体制は、
革命と反動の時代 を象徴する国際秩序であり、

  • ナポレオン時代 → ウィーン体制 → 1848年革命 → 国民国家形成

という19世紀ヨーロッパ史の流れを理解する上で欠かせない存在である。


論述問題(ウィーン体制)

問題①

ウィーン体制の目的を、フランス革命との関係に注意して100字以内で説明せよ。

模範解答を表示

ウィーン体制はフランス革命とナポレオン戦争によって崩れた旧来の秩序を回復するため、正統主義と勢力均衡を原則として革命運動を抑圧することを目的とした。


問題②

ウィーン体制が長期的に維持できなかった理由を、思想の面から説明せよ。(150字以内)

模範解答を表示

ウィーン体制は自由主義や民族主義を抑圧することで秩序を保ったが、これらの思想は社会に浸透し続け、不満が蓄積した。その結果、1848年の三月革命によって体制は動揺し、維持が困難となった。

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