― ヴェルサイユ体制の最終的崩壊 ―
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代 | 1939〜1941年(初期段階) |
| 開戦 | 1939年9月 |
| 主な戦争形態 | 電撃戦・総力戦 |
| 主な陣営 | 枢軸国 vs 連合国 |
| 戦争の性格 | 世界規模の全面戦争 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1936 | 日独防共協定 |
| 1938 | ミュンヘン会談 |
| 1939 | 独ソ不可侵条約/ポーランド侵攻 |
| 1940 | フランス降伏 |
| 1940 | 日独伊三国同盟 |
| 1941 | 独ソ戦開始 |
| 1941 | 真珠湾攻撃 |
主な参戦国と動き
| 国 | 初期の動き |
|---|---|
| ドイツ | 電撃戦による侵略拡大 |
| イギリス | 単独で抗戦 |
| フランス | 1940年に降伏 |
| ソ連 | 1941年に独ソ戦 |
| 日本 | アジア太平洋で拡大 |
| アメリカ | 1941年参戦 |
戦争の特徴(初期)
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 軍事 | 電撃戦(機甲部隊・航空機) |
| 政治 | 宥和政策の破綻 |
| 国際関係 | 国際連盟の消滅 |
| 戦争規模 | 世界規模 |
覚えるべき重要キーワード一覧
- 第二次世界大戦
- ポーランド侵攻
- 独ソ不可侵条約
- 電撃戦
- ミュンヘン会談
- 宥和政策
- 日独伊三国同盟
- 独ソ戦
- 真珠湾攻撃
1行まとめ
ヴェルサイユ体制の矛盾と宥和政策の失敗の中で、ドイツの侵略を契機に第二次世界大戦が勃発し、電撃戦によって戦争は急速に拡大した。
【詳しい解説】
第一次世界大戦後に成立したヴェルサイユ体制は、ドイツに対する厳しい処罰と国際連盟を中心とする国際協調によって戦争再発を防ごうとした体制であった。しかし、世界恐慌を契機に各国が自国優先政策へと傾く中で、この体制は急速に揺らいでいった。
1930年代、ドイツではヒトラー率いるナチ党政権が成立し、ヴェルサイユ条約の破棄を掲げて再軍備を進めた。ラインラント進駐やオーストリア併合(アンシュルス)は明確な条約違反であったが、イギリスやフランスは戦争回避を優先し、強い対応を取らなかった。これがいわゆる宥和政策である。
1938年のミュンヘン会談では、チェコスロヴァキアのズデーテン地方がドイツに譲渡された。英仏はこれによって平和が守られると考えたが、ヒトラーはその後も侵略を止めず、宥和政策の限界が明確になった。
1939年8月、ドイツは突如としてソ連と独ソ不可侵条約を締結した。これはイデオロギー的に対立していた両国が、当面の利害一致によって結んだ現実的な協定であり、ポーランド分割の秘密協定も含まれていた。これによりドイツは東西両面作戦の危険を回避し、戦争開始への条件を整えた。
同年9月、ドイツはポーランドへ侵攻した。これに対し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が正式に勃発した。ドイツ軍は戦車部隊と航空機を連携させた電撃戦によってポーランドを短期間で制圧した。
1940年にはデンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギーを次々に制圧し、フランスも降伏に追い込まれた。フランスの敗北はヨーロッパに大きな衝撃を与え、イギリスは単独でドイツに対抗する状況に追い込まれた。
一方、1940年に日本・ドイツ・イタリアは日独伊三国同盟を結び、枢軸国陣営を形成した。1941年にはドイツが独ソ戦を開始し、さらに日本の真珠湾攻撃によってアメリカが参戦したことで、戦争は完全な世界規模へと拡大した。
このように第二次世界大戦の勃発は、ヴェルサイユ体制の矛盾、宥和政策の失敗、ファシズム国家の侵略が連鎖した結果であり、初期段階では電撃戦による急速な戦局変化が特徴であった。
全体のまとめ
第二次世界大戦は、戦間期の不安定な国際秩序の崩壊の上に勃発し、初期にはドイツを中心とする枢軸国が優勢に戦争を拡大させた。
論述問題
問1
第二次世界大戦が勃発した原因について、ヴェルサイユ体制との関係に触れて説明せよ。
模範解答
ヴェルサイユ体制はドイツに過酷な条件を課し、不満と不安定を残した。世界恐慌後、ドイツは再軍備と侵略を進めたが、英仏は宥和政策を取ったため侵略を抑止できなかった。その結果、ポーランド侵攻を契機に第二次世界大戦が勃発した。
問2
第二次世界大戦初期において、ドイツが優位に戦争を進められた理由を説明せよ。
模範解答
ドイツは戦車と航空機を連携させた電撃戦を採用し、短期間で敵国を制圧した。また、独ソ不可侵条約によって東方の脅威を一時的に排除し、戦力を西欧に集中できたことも優位に働いた。


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