(1560〜1582年)
1行まとめ
織田信長は革新的な軍事・経済政策で戦国大名を次々と破り、天下統一に最も近づいたが、本能寺の変で倒れた。
基本情報
- 時期:1560年〜1582年
- 主な人物:織田信長
- 重要戦い:桶狭間の戦い、本能寺の変
- 政策:楽市楽座、兵農分離、鉄砲戦術
- 意義:天下統一の基礎を作った
年表
- 1560年 桶狭間の戦い(今川義元を破る)
- 1568年 足利義昭を奉じて京都に入る
- 1573年 室町幕府滅亡(足利義昭追放)
- 1575年 長篠の戦い(武田軍を破る)
- 1582年 本能寺の変(信長死亡)
表:織田信長の主な政策
| 政策 | 内容 | 目的 |
|---|---|---|
| 楽市楽座 | 商業の自由化 | 経済活性化 |
| 関所撤廃 | 交通自由化 | 商業発展 |
| 城下町整備 | 商人・職人集中 | 経済力強化 |
| 鉄砲戦術 | 鉄砲部隊運用 | 軍事革命 |
覚えるべきキーワード一覧
- 織田信長
- 桶狭間の戦い
- 足利義昭
- 室町幕府滅亡
- 楽市楽座
- 長篠の戦い
- 鉄砲三段撃ち
- 本能寺の変
詳しい解説
① 織田信長の登場
戦国時代後期、尾張の大名 織田信長 が急速に勢力を拡大した。
大きな転機が
1560年 桶狭間の戦い
である。
信長は約3000の兵で、
2万以上の軍を率いた 今川義元
を奇襲し討ち取った。
この勝利によって信長は一躍全国に名を知られる存在となった。
② 京都進出と幕府の終わり
1568年、信長は
足利義昭
を将軍にする名目で京都に入る。
しかし義昭と対立し、
1573年
義昭を追放。
これにより
室町幕府は滅亡
する。
約240年続いた幕府が終わった。
③ 強敵との戦い
信長は各地の強大な大名と戦う。
主な敵
- 武田氏
- 浅井氏
- 朝倉氏
- 本願寺
特に有名なのが
1575年 長篠の戦い
信長・徳川連合軍が
武田勝頼の騎馬軍団を
鉄砲の 三段撃ち
で破った。
鉄砲を大量に使った戦術は戦争の形を大きく変えた。
④ 信長の革新的政策
信長は戦いだけでなく、
社会改革も進めた。
代表政策
楽市楽座
- 商業の自由化
- 商人を保護
関所撤廃
- 流通を自由化
城下町整備
- 安土城を中心に発展
このようにして経済力を高めた。
⑤ 宗教勢力との対立
信長は仏教勢力とも戦った。
理由
- 大きな軍事力
- 独立勢力
主な戦い
比叡山延暦寺焼き討ち(1571)
石山本願寺との戦い
宗教勢力の政治介入を排除した。
⑥ 本能寺の変
1582年
家臣 明智光秀 が反乱。
京都 本能寺 にいた信長を襲撃。
信長は自害。
これを
本能寺の変
という。
天下統一目前で信長は倒れた。
全体まとめ
- 信長は桶狭間の戦いで有名になる。
- 京都進出し室町幕府を滅ぼす。
- 鉄砲戦術で戦国大名を撃破。
- 楽市楽座などで経済改革。
- 本能寺の変で死亡。
信長は 天下統一の土台 を作った人物である。
論述問題
問1
織田信長が勢力を拡大できた理由を説明しなさい。
模範解答
織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を破り勢力を拡大した。さらに鉄砲を積極的に用いた戦術で武田氏などの強敵を倒した。また楽市楽座や関所撤廃などの政策により商業を発展させ、経済力を高めたことも勢力拡大の要因となった。
問2
織田信長の政策の特徴を説明しなさい。
模範解答
織田信長は戦国時代の旧来の制度を改革する政策を行った。楽市楽座により商業の自由化を進め、関所を撤廃して流通を活発にした。また鉄砲を用いた戦術を導入するなど軍事面でも革新を行い、天下統一の基礎を築いた。


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