― 核開発競争とキューバ危機 ―
1行まとめ
核兵器の開発競争は米ソの対立を極限まで高め、キューバ危機は冷戦が核戦争寸前まで進んだ最大の危機であった。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代 | 1950年代後半〜1960年代初頭 |
| 冷戦段階 | 緊張の頂点 |
| 中心テーマ | 核兵器・抑止力 |
| 代表的事件 | キューバ危機 |
| 国際秩序 | 核抑止体制の形成 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1949 | ソ連、原爆実験成功 |
| 1952 | 米国、水爆実験 |
| 1953 | ソ連、水爆実験 |
| 1957 | スプートニク打ち上げ |
| 1962 | キューバ危機 |
| 1963 | 部分的核実験禁止条約 |
核開発競争の展開
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 技術 | 原爆→水爆 |
| 運搬手段 | 大陸間弾道ミサイル |
| 思想 | 相互確証破壊(MAD) |
| 結果 | 核抑止力の成立 |
キューバ危機の構図
| 陣営 | 内容 |
|---|---|
| ソ連 | キューバに核ミサイル配備 |
| 米国 | 海上封鎖(隔離) |
| 指導者 | ケネディ / フルシチョフ |
| 結果 | 核戦争回避 |
覚えるべき重要キーワード一覧
- 核開発競争
- 大陸間弾道ミサイル(ICBM)
- 相互確証破壊(MAD)
- キューバ危機
- 海上封鎖(隔離)
- ホットライン
- 部分的核実験禁止条約
【詳しい解説】
第二次世界大戦後、アメリカが独占していた核兵器は、1949年にソ連が原爆実験に成功したことで、冷戦の対立を質的に変化させた。両陣営は核兵器を安全保障の中心に据え、より強力で破壊力の大きい水爆の開発へと進んだ。
核兵器の増強と並行して、核弾頭を相手国へ確実に届けるための運搬手段の開発も進んだ。大陸間弾道ミサイル(ICBM)や戦略爆撃機、潜水艦発射弾道ミサイルの整備によって、核攻撃は現実的な選択肢となった。一方で、互いに壊滅的打撃を与え合う状況が成立し、「相互確証破壊(MAD)」という抑止理論が形成された。
1957年、ソ連は人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、アメリカに強い衝撃を与えた。これは宇宙開発競争の始まりであると同時に、ミサイル技術での優位を示すものであり、核戦争への不安を一層高めた。
こうした緊張が最高潮に達したのが1962年のキューバ危機である。社会主義革命後のキューバはソ連と接近し、ソ連はアメリカ本土を直接射程に収める核ミサイルをキューバに配備しようとした。これを察知したアメリカのケネディ大統領は、軍事攻撃ではなく海上封鎖(隔離)によってソ連を牽制した。
世界が核戦争寸前の緊張に包まれる中、最終的にフルシチョフはミサイル撤去を決断し、アメリカもキューバ侵攻を行わないこと、さらにトルコの米ミサイルを撤去することで合意が成立した。この危機を通じて、米ソは直接対話の必要性を痛感し、首脳間を結ぶホットラインが設置された。
キューバ危機後、核戦争回避のための協調が進み、1963年には部分的核実験禁止条約が締結された。これは冷戦が依然として続く中で、初めて本格的な核軍縮への一歩が踏み出された出来事であった。
全体のまとめ
核兵器の存在は冷戦を極限まで緊張させたが、キューバ危機を契機に米ソは核戦争回避の必要性を共有するようになった。
論述問題
問1
相互確証破壊(MAD)の考え方が冷戦下の国際関係に与えた影響を説明せよ。
模範解答
核兵器の相互保有によって全面戦争が自殺行為となり、米ソは直接衝突を回避するようになった。その結果、核抑止が成立し、冷戦は代理戦争を中心とする形で継続した。
問2
キューバ危機がその後の冷戦に与えた影響を説明せよ。
模範解答
核戦争の危険性が現実のものとして認識され、米ソ間の意思疎通の必要性が高まった。これによりホットライン設置や部分的核実験禁止条約など、緊張緩和への動きが始まった。


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