(およそ紀元前10世紀ごろ 〜 3世紀中ごろ)
① 縄文時代から弥生時代への転換 ― 何が変わったのか
縄文時代の人々は、狩猟・採集・漁労を中心とした生活を送り、自然の恵みを利用して暮らしていました。しかし、縄文時代の終わりごろになると、日本列島に大きな生活様式の変化が訪れます。
それが
⇒ 稲作(特に水田稲作)の伝来
です。
稲作はどこから来たのか
- 中国大陸(長江流域)→ 朝鮮半島 → 日本(北九州)
- 最初に広まったのは 九州北部
稲作は、単に「新しい食べ物」が増えたという話ではありません。
社会の仕組みそのものを根本から変える力をもっていました。
② 稲作がもたらした生活の変化
1. 定住生活の本格化
稲作は、
- 田を作る
- 水を管理する
- 稲の成長を見守る
という 長期間の作業が必要です。
そのため、
- 縄文時代以上に「同じ場所に住み続ける」必要が生まれました
→ 集落が大きくなり、長期的に維持されるようになる
2. 協力と集団の発達
水田稲作では、
- 用水路の整備
- 田植えや収穫の共同作業
が欠かせません。
➡ 人々の協力関係が強まり、集団の結束が重要になる
③ 富の蓄積と身分差の発生
稲作は、狩猟採集と違い、
- 収穫量をコントロールできる
- 余った米を蓄えることができる
という特徴があります。
これによって次のような変化が起こります。
1. 貧富の差
- 多くの田を持つ人 → 多くの米を得る
- 田を持たない人 → 少ない収穫
➡ 貧富の差が生まれる
2. 身分差・支配の芽生え
- 集落の中で指導力を持つ人が現れる
- 米を管理・分配する立場の人が力を持つ
➡ 身分差・支配者と被支配者の関係が生まれる
これが、後の「国家形成」につながっていきます。
④ 弥生時代の集落と暮らし
集落の特徴
- 環濠集落(かんごうしゅうらく)
- 集落の周囲に堀をめぐらせたもの
- 例:吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
なぜ堀が必要だったのか?
- 米や土地をめぐる争いが増えた
- 外敵から集落を守る必要があった
➡ 弥生時代は「争いのある社会」だった
住居
- 竪穴住居が中心(縄文時代と共通)
- 高床倉庫
- 米を湿気や害虫から守るため
- 権力者が管理する場合も多い
⑤ 弥生時代の道具と技術
1. 弥生土器
- 薄手で実用的
- 文様は少なく、煮炊きに適している
➡ 縄文土器(装飾的)との対比が重要
2. 金属器の使用
- 青銅器
- 銅鐸(どうたく):祭り・儀式用
- 銅剣・銅矛:権威の象徴
- 鉄器
- 農具(鍬・鎌)
- 武器
➡ 鉄器の使用により、農業生産力が向上
⑥ 祭りと信仰 ― なぜ銅鐸を使ったのか
弥生時代の人々は、
- 稲の豊作
- 天候の安定
を強く願っていました。
銅鐸の役割
- 音を鳴らして神に祈る
- 共同体全体で行う祭祀に使用
➡ 自然と人間を結びつける信仰
この「農耕儀礼」は、後の日本の神道にもつながっていきます。
⑦ 中国史料に見える弥生時代の日本
弥生時代後期になると、日本列島の人々は中国の歴史書に登場します。
倭(わ)の登場
- 中国では日本を「倭」と呼んだ
- 多くの小国が分立していたと記録されている
邪馬台国と卑弥呼
- 3世紀ごろ
- 女王 卑弥呼 が国を治めていた
- 呪術的な力で人々をまとめたとされる
➡ 政治と宗教が結びついた支配
⑧ 弥生時代の歴史的意義
弥生時代は、
- 農耕社会の成立
- 身分差・争いの発生
- 小国家の形成
という点で、
⇒ 日本が「国家へ向かう社会」へ変化した時代
であったと言えます。


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