飛鳥時代

(およそ6世紀後半 〜 710年)

1行まとめ

豪族中心の政治から、天皇を中心とする国家へと転換していく、日本史上最大級の制度変革の時代。


基本情報

項目内容
時代6世紀後半〜710年
政治の中心飛鳥地方(現在の奈良県)
特徴仏教伝来、中央集権化、律令国家への準備
主な人物推古天皇、聖徳太子、蘇我氏、中大兄皇子、中臣鎌足
次の時代奈良時代

年表(流れをつかむ)

出来事
538年(または552年)仏教伝来
593年推古天皇即位、聖徳太子が摂政に
603年冠位十二階
604年十七条憲法
645年大化の改新
672年壬申の乱
701年大宝律令
710年平城京遷都(奈良時代へ)

詳しい解説(時系列で理解する)

仏教伝来と豪族対立の激化

6世紀半ば、百済から仏教が伝えられると、日本の支配層は大きく揺れます。
仏教は単なる宗教ではなく、

  • 先進的な文化
  • 国家を守る思想
  • 中国・朝鮮との国際関係の象徴

という意味を持っていました。

これを巡って対立したのが、

  • 仏教受容を進める蘇我氏
  • 伝統的神々を重視する物部氏

最終的に蘇我氏が勝利し、仏教は国家レベルで受け入れられていきます。

この対立は、
「どの豪族が政治の主導権を握るのか」
という権力闘争でもありました。


推古天皇と聖徳太子の政治改革

593年、推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政となります。
ここから政治は大きく変化します。

冠位十二階(603年)

  • 家柄ではなく、能力・功績による序列
  • 豪族社会への大きな挑戦

完全な能力主義ではありませんが、
「血筋だけが全てではない」という考えが初めて制度化されました。

十七条憲法(604年)

これは法律ではなく、政治の心得です。

内容の中心は、

  • 和を重んじること
  • 天皇への服従
  • 官僚としての倫理

つまり、
豪族が勝手に振る舞う政治から、
天皇を中心とした秩序ある政治へ導く思想的基盤でした。


国際社会への参加と外交意識

聖徳太子は外交にも力を入れます。

隋へ使節を送り、

  • 日本が独立した国家であること
  • 中国と対等な立場を目指す姿勢

を明確に示しました。

この時期、日本は「辺境」ではなく、
東アジアの国際秩序の一員になろうとしていたのです。


大化の改新 ― 政治構造の大転換

7世紀半ば、蘇我氏が権力を独占しすぎたことで、再び問題が起こります。

645年、
中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターを起こし、蘇我氏を倒します。

これが大化の改新です。

改革の本質は、

  • 土地と人民は天皇のもの
  • 豪族の私的支配を否定
  • 中央集権国家を目指す

という点にあります。

ここで初めて、
「国家」という発想が明確に現れます。


壬申の乱と天皇権力の確立

672年、天皇の後継者争いから壬申の乱が起こります。

最終的に勝利した天武天皇は、

  • 天皇の地位を強化
  • 豪族を強く統制
  • 国家制度の整備を加速

ここで天皇は、
豪族の代表ではなく、
国家の頂点として明確に位置づけられます。


律令国家への最終準備

7世紀末から8世紀初頭にかけて、

  • 中国の制度を本格的に導入
  • 法律(律)と行政制度(令)を整備

701年の大宝律令によって、
日本は形式上、律令国家として完成します。


飛鳥時代の歴史的意義(全体まとめ)

飛鳥時代は、

  • 豪族連合国家から中央集権国家への転換期
  • 天皇中心の政治思想の確立
  • 日本が国際社会に参加し始めた時代

でした。

古墳時代までの「力の強い者が支配する社会」から、
制度と思想によって統治する国家へと進んだ、
日本史の大きな分岐点です。

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