(10世紀前半 〜 11世紀後半)
1行まとめ
藤原氏が摂関政治によって権力を独占し、政治の安定と引き換えに貴族中心・内向きの社会が完成した時代。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代 | 10世紀前半〜11世紀後半 |
| 都 | 平安京 |
| 政治形態 | 摂関政治 |
| 社会の特徴 | 貴族中心、地方支配の弱体化 |
| 文化 | 国風文化 |
| 主な人物 | 藤原道長、藤原頼通 |
| 次の展開 | 武士の台頭、院政へ |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 901年 | 菅原道真、太宰府へ左遷 |
| 969年 | 安和の変 |
| 1016年 | 藤原道長、摂政に |
| 1053年 | 平等院鳳凰堂建立 |
| 1068年 | 後三条天皇即位 |
詳しい解説
摂関政治の成立 ― なぜ藤原氏が権力を独占できたのか
平安時代中期の最大の特徴は、摂関政治です。
摂政・関白とは、
- 摂政:幼少の天皇を補佐
- 関白:成人した天皇を補佐
する役職ですが、実際には政治の実権を握る立場でした。
藤原氏は、
- 天皇の外戚(母方の親族)になる
- 皇位継承に深く関与する
ことで、この地位を独占します。
武力ではなく、
婚姻関係と制度を利用して権力を握った点が重要です。
安和の変と政敵排除
969年の安和の変は、
藤原氏が他の有力貴族を政界から排除する決定的事件でした。
これ以降、
- 藤原氏以外が摂関になる道はほぼ閉ざされる
- 政治は藤原一族の内部で完結
するようになります。
結果として政治は安定しますが、
天皇の政治的役割は大きく低下していきます。
藤原道長の時代 ― 摂関政治の最盛期
11世紀初頭、藤原道長が権力の頂点に立ちます。
道長は、
- 4人の娘を天皇の后にする
- 外戚関係を独占
することで、天皇すら超える影響力を持ちました。
有名な言葉に、
「この世をば我が世とぞ思ふ」
があり、当時の権力構造を象徴しています。
地方社会の変化と武士の成長
一方、地方では別の変化が起きていました。
- 荘園の拡大
- 国司の支配力低下
- 治安の悪化
こうした中で、
- 自衛のために武装する農民
- 地方豪族と結びつく武装集団
が生まれます。
これが、後の武士階級の母体となります。
国風文化の成熟 ― 貴族の内向き世界
遣唐使停止後、日本独自の文化が成熟します。
特徴は、
- かな文字の普及
- 日本的美意識の確立
- 貴族生活を中心とした文化
文学では、
- 『源氏物語』
- 『枕草子』
が生まれ、政治よりも宮廷生活や感情が重視される世界観が広がります。
この文化の繁栄は、
同時に政治が現実の社会問題から目を背けていたことも示しています。
後三条天皇の即位 ― 変化の兆し
1068年、藤原氏を外戚に持たない後三条天皇が即位します。
彼は、
- 荘園整理
- 財政改革
を進め、天皇主導の政治を取り戻そうとしました。
これは、
次の院政への重要な前段階となります。
平安時代中期の歴史的意義(全体まとめ)
平安時代中期は、
- 摂関政治による貴族支配の完成
- 政治の安定と引き換えの地方統制の弱体化
- 武士と院政を生む土壌の形成
という二面性を持つ時代でした。
表面上は平和でも、
社会の内部では次の時代への変化が静かに進んでいました。
論述問題
問1
藤原氏が摂関政治を確立できた理由を、婚姻関係と政治制度の両面から説明せよ。
模範解答
藤原氏は天皇の外戚となることで皇位継承に関与し、摂政・関白という制度的地位を独占した。これにより、天皇を補佐する立場から実際の政治権力を掌握し、他氏族を排除する体制を築いた。
問2
平安時代中期の政治の安定が、地方社会にどのような影響を与えたか説明せよ。
模範解答
中央では摂関政治により安定が保たれたが、地方では荘園の拡大と国司の支配力低下が進んだ。その結果、治安維持のために武装する勢力が生まれ、後の武士階級の成長につながった。


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