平安時代後期

(11世紀後半 〜 12世紀末)

1行まとめ

院政の開始によって天皇の権力が再編され、同時に武士が政治の表舞台へ登場していく時代。


基本情報

項目内容
時代11世紀後半〜12世紀
平安京
政治形態院政
社会の特徴武士の成長、貴族政治の動揺
主な人物白河上皇、鳥羽上皇、平清盛
次の展開鎌倉幕府の成立

年表

出来事
1086年白河上皇、院政開始
1156年保元の乱
1159年平治の乱
1167年平清盛、太政大臣に
1180年源平合戦開始
1185年壇ノ浦の戦い

詳しい解説(時系列で理解する)

院政の開始 ― なぜ上皇が政治を動かしたのか

11世紀後半、後三条天皇の改革を引き継ぐ形で、白河天皇は譲位します。
しかし、政治の第一線から退いたわけではありません。

白河上皇は、

  • 上皇として院に住む
  • 天皇とは別の政治拠点を持つ
  • 摂関家の影響を受けにくい

という立場から政治を主導します。

これが院政です。

形式上は天皇が存在しますが、
実際の政治判断は上皇が行うという、二重構造が生まれました。


院政の仕組みと特徴

院政の特徴は、

  • 上皇が直接家臣を持つ
  • 荘園を管理し、独自の財源を確保
  • 摂関家を政治の中心から遠ざける

点にあります。

これにより、
長く続いた藤原氏中心の摂関政治は弱体化します。

一方で、
政治権力はより複雑で不安定なものになっていきます。


武士の本格登場 ― なぜ必要とされたのか

院政期、中央政治は安定しているようで、実は多くの不安要素を抱えていました。

  • 皇位継承争い
  • 貴族同士の対立
  • 地方での治安悪化

こうした争いを解決するため、
貴族や上皇は武力を必要とします。

そこで動員されたのが、
地方で成長していた武士です。


保元の乱 ― 武士が政治に介入する転換点

1156年、皇位継承と摂関家の対立が重なり、保元の乱が起こります。

この争いでは、

  • 源氏
  • 平氏

といった武士が、貴族の争いに動員されました。

結果として、
武士の力が政治の結果を左右することが明らかになります。


平治の乱と武士の主役化

保元の乱の数年後、平治の乱が起こります。

この戦いで、

  • 平清盛が勝利
  • 源氏は衰退(一部は地方へ)

します。

これ以降、
武士は「利用される存在」から、
「政治の中心を担う存在」へと変わっていきます。


平清盛の時代 ― 武士政権への一歩手前

平清盛は、

  • 武士として初めて太政大臣に就任
  • 天皇の外戚となる
  • 日宋貿易を推進

するなど、従来の貴族政治の枠内で権力を握りました。

しかし、

  • 武士政権の制度は未完成
  • 貴族との摩擦
  • 地方武士の不満

を抱えたまま、次の大きな争いへと進みます。


源平合戦と貴族政治の終焉

1180年、源氏が挙兵し、源平合戦が始まります。

戦いは全国に広がり、
1185年の壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡します。

これにより、

  • 貴族中心の政治は決定的に衰退
  • 武士が新しい支配層として登場

することになります。


平安時代後期の歴史的意義(全体まとめ)

平安時代後期は、

  • 院政によって天皇権力が再編された時代
  • 武士が軍事力を背景に政治へ進出した時代
  • 貴族政治から武士政権への橋渡しの時代

でした。

この流れの先に、
日本初の本格的武士政権が誕生します。


論述問題

問1

院政が成立した背景と、その政治的特徴を説明せよ。

模範解答

院政は、摂関家の影響を排除し天皇主導の政治を回復するために成立した。上皇が院に拠点を置いて直接政治を行い、独自の家臣や財源を持つことで、天皇と並立する政治構造が形成された。


問2

保元・平治の乱が、日本の政治構造に与えた影響を説明せよ。

模範解答

保元・平治の乱では、貴族の権力争いに武士が動員され、軍事力が政治の結果を左右するようになった。この結果、武士が政治の主役として台頭し、貴族中心の政治が動揺する契機となった。

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