飛鳥時代

1行まとめ

豪族連合のヤマト政権から脱却し、中国(隋・唐)を手本に中央集権国家=律令国家をつくろうとした改革の時代。


基本情報

項目内容
時代6世紀後半〜710年(平城京遷都まで)
前の時代古墳時代
次の時代奈良時代
中心地飛鳥(奈良県)
政治形態天皇中心の中央集権国家への移行期
特徴仏教受容・大化改新・律令制度・遣隋使遣唐使

年表

出来事
538(552)仏教伝来
587丁未の乱(蘇我氏が物部氏を滅ぼす)
593聖徳太子が摂政に就任
603冠位十二階
604十七条憲法
607遣隋使派遣(小野妹子)
645乙巳の変(蘇我氏滅亡)→ 大化改新
672壬申の乱
701大宝律令完成
710平城京遷都(奈良時代へ)

政治・制度・文化の整理(表)

観点内容
政治天皇中心の中央集権国家を目指す
改革大化改新、律令制度
人事冠位十二階、能力主義
思想仏教+儒教+法家思想
外交遣隋使・遣唐使
文化飛鳥文化(法隆寺・仏像)

覚えるべきキーワード一覧

  • 聖徳太子
  • 冠位十二階
  • 十七条憲法
  • 遣隋使
  • 乙巳の変
  • 大化改新
  • 公地公民
  • 班田収授法
  • 壬申の乱
  • 大宝律令
  • 飛鳥文化

詳しい解説

仏教伝来と豪族対立から始まる政治闘争

6世紀半ば、百済から仏教が伝来する。
これは単なる宗教ではなく、国家統治のための最先端思想・文化セットだった。

ここで対立が起こる。

  • 蘇我氏:仏教受容(国を強くできる)
  • 物部氏・中臣氏:神道重視(伝統維持)

587年、丁未の乱で蘇我氏が勝利。
これにより仏教が国家公認となり、日本は本格的に大陸文化を吸収していく。

つまり
飛鳥時代=「仏教受容」から本格スタート と覚えると流れがつかみやすい。


聖徳太子の政治改革(国家の設計図づくり)

593年、聖徳太子が摂政になる。

ここで行った改革は「制度の土台づくり」。

冠位十二階
→ 家柄ではなく能力で官位を与える(豪族支配の弱体化)

十七条憲法
→ 役人の心構え・政治理念を示す
「和を以て貴しとなす」は有名だが、本質は
天皇中心の国家秩序を作るための思想統制

さらに遣隋使を派遣。
「日出づる処の天子…」の国書は、
中国と対等外交を目指す強い国家意識の表れ。

ここまでで
豪族連合国家 → 官僚国家 への方向性が見える。


蘇我氏の専横と乙巳の変

しかし皮肉なことに、改革を進めた蘇我氏自身が巨大化しすぎる。

蘇我馬子 → 蘇我蝦夷 → 蘇我入鹿
と権力を独占し、「天皇より強い豪族」になってしまった。

そこで
中大兄皇子(後の天智天皇)+中臣鎌足(藤原氏の祖)がクーデター。

645年 乙巳の変
蘇我入鹿暗殺 → 蘇我氏滅亡

ここが飛鳥時代最大の転換点。


大化改新(本格的な国家改造)

クーデター直後に始まったのが大化改新。

内容はかなり革命的。

公地公民
→ 土地・人民はすべて国家(天皇)のもの

班田収授法
→ 口分田を配って税を取る

国郡里制
→ 地方行政の整備

つまり
豪族の私有地・私兵を奪い、国家が直接支配する体制 を作った。

日本史で最初の「中央集権革命」。


壬申の乱と天皇権力の確立

672年、天智天皇の死後、皇位継承争いが発生。

大海人皇子(天武天皇)が勝利。

この壬申の乱によって
天皇の軍事力が決定的になり、豪族は完全に従属。

天武天皇はさらに

  • 八色の姓
  • 戸籍整備
  • 律令編纂

を進め、国家体制を固めた。


律令国家の完成

701年 大宝律令完成。

ここでようやく

  • 法律(律)
  • 行政法(令)

が整備され、
中国型の官僚国家が完成

そして710年、平城京へ遷都。
都市国家としての奈良時代が始まる。

飛鳥時代は
「国家建設の準備期間」だったと理解すると全体像がきれいにつながる。


全体のまとめ

飛鳥時代は

仏教受容
→ 聖徳太子の制度整備
→ 蘇我氏打倒
→ 大化改新
→ 律令完成

という流れで、
豪族の時代から天皇中心の中央集権国家へ一気に変化した革命期

日本が「国家」として本格始動した時代である。


論述問題

問1

聖徳太子の政策が、豪族中心の政治から中央集権国家への転換にどのように貢献したか述べなさい。

模範解答

聖徳太子は冠位十二階によって家柄ではなく能力による人材登用を行い、豪族の世襲的特権を弱めた。また十七条憲法によって天皇中心の政治理念を示し、役人の統制を図った。さらに遣隋使を派遣して大陸制度を導入し、中央集権国家の基盤を整備した。これらの政策は豪族連合政治から官僚制国家への転換を進める役割を果たした。


問2

大化改新の内容と、その歴史的意義について説明しなさい。

模範解答

大化改新では公地公民制によって土地と人民を国家の支配下に置き、班田収授法や国郡里制によって全国を直接統治する制度を整えた。これにより豪族の私的支配が否定され、天皇中心の中央集権体制が確立された点に大きな意義がある。日本における律令国家成立への出発点となった改革であった。

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