17世紀前半〜中頃
1行まとめ
江戸幕府は対外関係を制限し、貿易と外交を管理する鎖国体制を整えた
基本情報
- 時代:江戸時代初期
- 中心人物:徳川家光
- 年代目安:1630年代〜
- キーワード:鎖国・キリスト教禁止・出島・南蛮貿易
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1549年 | フランシスコ・ザビエル来日 |
| 1612年 | キリスト教禁止令 |
| 1633年 | 海外渡航の禁止 |
| 1635年 | 日本人の帰国禁止 |
| 1637〜1638年 | 島原・天草一揆 |
| 1639年 | ポルトガル船来航禁止 |
| 1641年 | オランダ商館を出島へ移転 |
仕組み(まとめ表)
| 政策 | 内容 | 目的 |
|---|---|---|
| 鎖国 | 外国との交流を制限 | 幕府支配の安定 |
| キリスト教禁止 | 宣教師・信者の排除 | 反乱防止 |
| 出島貿易 | オランダ・中国と限定的貿易 | 経済維持 |
| 海外渡航禁止 | 日本人の出国・帰国を禁止 | 外国影響の遮断 |
覚えるべきキーワード一覧
- 鎖国
- キリスト教禁止
- 出島
- 南蛮貿易
- オランダ・中国
詳しい解説
鎖国政策とは何か
江戸幕府は外国との交流を制限し、限られた国とのみ貿易を行う体制を整えた。これを鎖国という。
完全に国を閉ざしたわけではなく、中国やオランダなどとは貿易を続けていた点が特徴である。
キリスト教の禁止
16世紀にヨーロッパから伝えられたキリスト教は、日本各地に広まった。しかし幕府は、信者が団結して反乱を起こす可能性を警戒した。
そのためキリスト教は禁止され、宣教師は追放され、信者も厳しく取り締まられた。
島原・天草一揆
1637年に起こった大規模な一揆で、農民やキリスト教徒が中心となった。この一揆をきっかけに、幕府はキリスト教への警戒をさらに強めた。
結果として、ポルトガルとの関係は断たれ、鎖国体制が完成した。
出島での貿易
幕府はすべての外国との交流を断ったわけではない。長崎の出島において、オランダと中国との貿易を認めた。
特にオランダはキリスト教の布教を行わなかったため、例外的に貿易が許された。
鎖国の影響
鎖国によって日本は外国からの影響を制限し、国内の安定を維持することができた。一方で、西洋の技術や情報は限られた形でしか入らなかった。
そのため、後の時代に欧米諸国との差が生まれる一因ともなった。
全体まとめ
江戸幕府はキリスト教の禁止や外国との交流制限を通して鎖国体制を確立した。これにより国内の安定は保たれたが、外国との接触は大きく制限されることとなった。
論述問題
問1
鎖国政策が行われた理由を説明しなさい。
模範解答を表示
鎖国政策は、キリスト教の拡大によって信者が団結し、反乱を起こすことを幕府が警戒したために行われた。また、外国勢力の影響を排除し、幕府による支配体制を安定させる目的もあった。そのため外国との交流を制限し、限られた国とのみ貿易を行う体制が整えられた。
問2
鎖国体制下でも行われていた貿易について説明しなさい。
模範解答を表示
鎖国体制下でも、日本は完全に外国との関係を断ったわけではなく、中国やオランダと貿易を行っていた。長崎の出島において限定的に貿易が許され、特にオランダはキリスト教の布教を行わなかったため、例外的に交流が認められた。このように幕府は外国との関係を管理しながら経済を維持していた。


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