(1392〜1408年頃)
1行まとめ
南北朝合一後、足利義満が幕府の支配体制を安定させ、将軍権力を強化するとともに、日明貿易と北山文化を発展させた時代。
基本情報
- 時期:1392年(南北朝合一)〜15世紀初頭
- 中心人物:足利義満
- 重要語句:室町幕府、管領、守護大名、日明貿易(勘合貿易)、北山文化、金閣
年表
- 1392年 明徳の和約(南北朝合一)
- 1394年 足利義満、将軍職を義持に譲る(実権は保持)
- 1397年 北山殿(後の金閣)建立
- 1401年 明に国書を送る
- 1404年 日明貿易(勘合貿易)開始
- 1408年 義満死去
表:義満以前と義満期の違い
| 項目 | 義満以前 | 義満期 |
|---|---|---|
| 幕府の安定 | 内乱多い | 全国的に安定 |
| 将軍権力 | 守護が強大 | 将軍が守護を統制 |
| 外交 | 限定的 | 明と正式貿易 |
| 文化 | 武家中心 | 公家・禅宗融合 |
覚えるべきキーワード一覧
- 足利義満
- 管領
- 花の御所
- 日明貿易(勘合貿易)
- 日本国王
- 北山文化
- 金閣
- 能楽(観阿弥・世阿弥)
詳しい解説
① 南北朝合一後の課題
1392年、南北朝は合一したが、全国の守護大名は依然として強い軍事力を持っていた。将軍が実権を握るためには、守護を統制する必要があった。
義満は有力守護を京都に集め、幕府の政治機構を整備する。
- 管領(将軍補佐)
- 侍所(軍事・警察)
- 政所(財政)
- 問注所(裁判)
こうして幕府の中央集権化が進む。
② 将軍権力の強化
義満は有力守護を討伐・抑制した。
例:
- 土岐康行の乱
- 山名氏の弱体化
また、自らを「公武の頂点」に位置づける。
将軍でありながら太政大臣に就任し、武家と公家の上に立つ存在となった。
義満は事実上、天皇と並ぶ権威を持つ存在になった。
③ 日明貿易(勘合貿易)
倭寇(海賊)が東アジアで問題になっていたため、明は正式な国交を求めた。
1401年、義満は明へ使節を派遣。
1404年、正式に勘合貿易が開始。
仕組み:
- 明が発行する「勘合符」を持つ船のみ貿易可能。
- 偽船防止のための証明書。
輸出品:
- 刀剣
- 硫黄
- 銅
輸入品:
- 生糸
- 絹織物
- 陶磁器
義満は明から「日本国王」と認められる。
これは形式上、明に従属する形だったが、実質的には利益重視の外交だった。
④ 北山文化
義満の時代に栄えた文化を北山文化という。
特徴:
- 武家文化+公家文化+禅宗文化の融合
- 豪華で華やか
代表例:
■ 金閣(鹿苑寺)
三層構造で、上層は金箔が貼られている。
■ 能楽
観阿弥・世阿弥が大成。
■ 水墨画
禅僧による絵画が発展。
禅宗の精神性と武士の美意識が結びついた文化である。
⑤ 義満の死と影響
義満は1408年に死去。
死後、明は義満を「王」として扱い、外交上の混乱も起きた。
しかし、義満が築いた
- 将軍権力の強化
- 国際貿易の発展
- 室町文化の基礎
はその後の室町時代の土台となった。
全体まとめ
- 義満は南北朝の混乱を収束させた。
- 将軍権力を最も強化した室町将軍。
- 日明貿易で経済を活性化。
- 北山文化を発展させた。
室町幕府の最盛期を築いた人物である。
論述問題
問1
足利義満が将軍権力を強化できた理由を、政治と外交の両面から説明しなさい。
模範解答
義満は南北朝合一後、有力守護を討伐・抑制し、管領などの幕府機構を整備することで中央集権化を進めた。また太政大臣に就任し、公武の頂点に立つことで権威を高めた。さらに日明貿易を開始し、経済基盤を強化するとともに国際的な地位を確立したことも将軍権力強化につながった。
問2
北山文化の特徴とその歴史的意義を説明しなさい。
模範解答
北山文化は武家文化・公家文化・禅宗文化が融合した豪華で洗練された文化である。金閣や能楽、水墨画などが代表例であり、武士社会の成熟を示している。この文化はその後の東山文化や日本の伝統文化の基礎となった。


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