クレメンス・フォン・メッテルニヒ

(Klemens von Metternich)

短縮・表中心まとめ

項目内容
生没年1773年〜1815年
出身オーストリア
立場オーストリア外相
活躍時代ナポレオン戦争後
キーワードウィーン体制・正統主義・勢力均衡
関連会議ウィーン会議(1814〜1815)
対立思想自由主義・民族主義

超重要ポイント(暗記用)

  • ナポレオン失脚後の ヨーロッパ秩序再建の中心人物
  • 革命を否定し、旧体制(王政)を重視
  • 「自由・平等」より 安定と秩序 を優先

【詳しい解説】

メッテルニヒは、ナポレオン戦争によって混乱したヨーロッパを再編成するために活躍した、オーストリアの政治家である。
彼が主導したウィーン会議(1814〜1815年)は、フランス革命とナポレオン戦争によって崩壊した旧来の国際秩序を回復することを目的として開催された。

メッテルニヒの政治思想の中核にあったのが正統主義である。
これは、革命によって倒された王朝や支配者こそが正当であるとし、革命前の支配体制を復活させようとする考え方である。フランス革命の「自由」「平等」といった理念は、社会不安を生み出す危険な思想として否定された。

また彼は、特定の国が強くなりすぎることを防ぐための勢力均衡を重視した。
これは、ヨーロッパ全体の国力バランスを保つことで、大規模な戦争を防ごうとする考え方であり、ウィーン体制の基本原理となった。

しかし、メッテルニヒ体制には限界もあった。
自由主義や民族主義を弾圧する政策は、各地で不満を蓄積させ、やがて1848年の「三月革命」などの革命運動へとつながっていく。結果として、彼自身も失脚し、ウィーン体制は崩壊へ向かっていった。

このようにメッテルニヒは、短期的にはヨーロッパの安定を実現したが、長期的には新しい時代の流れを抑えきれなかった人物である。


論述問題


問題①(基本)

メッテルニヒが目指した国際秩序について、80〜100字で説明せよ。

模範解答を表示

メッテルニヒは正統主義と勢力均衡を重視し、フランス革命以前の王政秩序を回復することで、ヨーロッパの安定を維持しようとした。


問題②(因果関係)

ウィーン体制が成立した背景とその目的を説明せよ。(120〜150字)

模範解答を表示

ナポレオン戦争によって混乱したヨーロッパを再建するため、列強はウィーン会議を開いた。正統主義と勢力均衡に基づき、革命や大国の台頭を防ぎ、国際秩序の安定を図ることが目的であった。


問題③(評価型・発展)

メッテルニヒ体制の成果と限界について説明せよ。(150〜200字)

模範解答を表示

メッテルニヒ体制は、正統主義と勢力均衡によって列強間の戦争を抑制し、一定期間ヨーロッパの安定を実現した点で成果があった。一方、自由主義や民族主義を弾圧したため不満が蓄積し、革命運動を防ぐことはできなかった。

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