(Otto von Bismarck)
短縮・表中心まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 1815年〜1898年 |
| 出身 | プロイセン |
| 立場 | プロイセン首相 |
| 主な業績 | ドイツ統一の主導 |
| 思想 | 現実主義(Realpolitik) |
| 手段 | 鉄血政策 |
| 関連戦争 | デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争 |
| 成果 | ドイツ帝国成立(1871年) |
超重要ポイント(暗記用)
- 「鉄血政策」=武力と外交による統一
- 自由主義ではなく 保守的立場からの国民国家形成
- 三月革命の「理想」を、現実的に実現した人物
【詳しい解説】
ビスマルクは、19世紀後半のヨーロッパにおいて、ドイツ統一を主導したプロイセンの政治家である。
1848年の三月革命では、自由主義者によるドイツ統一構想が挫折したが、ビスマルクはその失敗から「理念では国家は作れない」という教訓を引き出した。
彼の政治姿勢を象徴する言葉が**「鉄血政策」**である。
これは、議会での討論や理想論ではなく、**軍事力(鉄)と流血(血)**によって国家の目的を達成するという考え方であり、ビスマルクの徹底した現実主義(Realpolitik)を示している。
ビスマルクはまず、ドイツ統一の障害となっていたオーストリアを排除するため、段階的に戦争を利用した。
1864年のデンマーク戦争、1866年の普墺戦争を経て、プロイセン主導の北ドイツ連邦を成立させる。そして1870年の普仏戦争では、フランスの脅威を利用して南ドイツ諸国を結束させ、1871年にドイツ帝国の成立を実現した。
重要なのは、ビスマルク自身が必ずしも民族主義者ではなかった点である。
彼は革命的な国民主義を警戒し、王権と貴族を基盤とする保守的国家体制を維持したまま統一を進めた。そのため、ドイツ帝国は立憲国家でありながら、強い皇帝権を残す体制となった。
このようにビスマルクは、三月革命で失敗した「理想の統一」を、現実的手段によって達成した人物であり、近代ヨーロッパ史において極めて大きな影響を与えた。
論述問題
問題①(基本・頻出)
ビスマルクの鉄血政策とは何か、80〜100字で説明せよ。
模範解答を表示
鉄血政策とは、議会での討論よりも軍事力と外交を重視し、戦争を手段として国家目標であるドイツ統一を達成しようとするビスマルクの現実主義的政策である。
問題②(因果関係)
三月革命とビスマルクによるドイツ統一の違いを説明せよ。(120〜150字)
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三月革命では自由主義者が理念に基づいて統一を目指したが失敗した。一方ビスマルクは、軍事力と外交を用いる現実主義的手法によって、保守体制を維持しながら統一を実現した。
問題③(評価型・難関大)
ビスマルクによるドイツ統一の意義と問題点を説明せよ。(180〜220字)
模範解答を表示
ビスマルクは鉄血政策によってドイツ統一を実現し、ヨーロッパの国際秩序を大きく変化させた点で大きな意義を持つ。一方で、軍事力を重視する国家体制や強い皇帝権を残したことは、後のドイツの政治的硬直性や対外緊張の一因となった。


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