冷戦の再緊張と終結

― 新冷戦からソ連崩壊へ ―

1行まとめ

1970年代の緊張緩和は崩れ、米ソ対立は再び激化したが、改革路線の登場によって冷戦は最終的に終結した。


基本情報

項目内容
時代1970年代後半〜1991年
冷戦段階再緊張 → 終結
中心テーマ軍拡競争と体制改革
主役アメリカ・ソ連
結末ソ連崩壊

年表

出来事
1979ソ連のアフガニスタン侵攻
1980モスクワ五輪ボイコット
1981レーガン政権成立
1985ゴルバチョフ書記長就任
1987INF全廃条約
1989ベルリンの壁崩壊
1991ソ連解体

新冷戦の特徴

観点内容
軍事核・通常兵器の再軍拡
外交東西対話の停滞
象徴SDI構想
対立地域アフガニスタン

冷戦終結への転換

要素内容
指導者ゴルバチョフ
改革ペレストロイカ
開放グラスノスチ
成果東欧革命

覚えるべき重要キーワード一覧

  • 新冷戦
  • アフガニスタン侵攻
  • レーガン
  • SDI構想
  • ゴルバチョフ
  • ペレストロイカ
  • グラスノスチ
  • ベルリンの壁
  • ソ連崩壊

【詳しい解説】

1970年代に進展したデタントは、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻によって大きく後退した。この侵攻は社会主義勢力拡大を狙ったものであったが、西側諸国からは侵略行為と受け止められ、米ソ関係は再び緊張状態に入った。アメリカはモスクワ五輪をボイコットし、軍事的・経済的圧力を強めた。

1981年に成立したレーガン政権は、ソ連を「悪の帝国」と位置づけ、軍拡政策を積極的に推進した。その象徴がSDI構想(戦略防衛構想)である。これは宇宙空間に迎撃システムを配備し、敵国の核ミサイルを無力化しようとする計画であり、ソ連に強い危機感を与えた。これにより核抑止の均衡は揺らぎ、冷戦は「新冷戦」と呼ばれる再緊張の局面に入った。

一方、ソ連国内では長年の軍拡競争と計画経済の停滞によって、深刻な経済不振が進行していた。こうした状況の中で1985年に登場したのがゴルバチョフである。彼は従来の路線を転換し、ペレストロイカ(改革)による経済再建と、グラスノスチ(情報公開)による政治的自由化を進めた。

ゴルバチョフは対外政策でも大きな転換を図り、アメリカとの軍縮交渉を積極的に推進した。1987年に調印されたINF全廃条約では、中距離核戦力の完全撤廃が合意され、冷戦史上初めて核兵器が実際に削減された。

この流れは東ヨーロッパにも波及した。ソ連が軍事介入を行わない姿勢を示したことで、東欧諸国では民主化運動が連鎖的に進展し、1989年にはベルリンの壁が崩壊した。これは冷戦の象徴的終焉を意味する出来事であった。

しかし、改革はソ連の統合を維持するには十分ではなかった。民族問題や経済混乱が深刻化し、1991年、ソ連は最終的に解体された。これにより第二次世界大戦後約半世紀にわたって続いた冷戦は、正式に終結した。


全体のまとめ

新冷戦によって米ソ対立は再び激化したが、ソ連の改革と国際協調の進展によって冷戦は平和的に終結した。


論述問題

問1

新冷戦が生じた背景を説明せよ。

模範解答

ソ連のアフガニスタン侵攻によってデタントが崩壊し、アメリカが軍拡政策を強化したことで、米ソ間の対立が再び激化したためである。


問2

ゴルバチョフの改革が冷戦終結に果たした役割を説明せよ。

模範解答

ペレストロイカとグラスノスチによって国内改革を進めると同時に、軍縮交渉を通じて対外緊張を緩和し、東欧への軍事介入を控えたことで冷戦終結を導いた。

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